霧島蕎麦處かわぐちのほっとな一日

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<<   作成日時 : 2017/05/02 21:30   >>

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古式手打ち
霧島蕎麦處かわぐち
鹿児島県霧島市霧島田口2638−249
☎ 0995−57−4321
店主 川口穰
出身は北九州市八幡東区(旧八幡市立槻田中学校卒業)
おそばは練込以外全て蕎麦粉と水のみで打ち上げています。

蕎麦打ち教室 
年4回 開催 興味のある方は御連絡を
 開催月 3・6・9・12月 各月第三木曜日
3月16日木曜日13時霧島保健福祉センター
6名限定・・・400gを二回
指導料は3500円 生粉打ち指導

ご予約は0995−57−4321
川口まで

フェイスブック minorukawaguti
      https://www.facebook.com/minoru.kawaguti.5/about

東北文学者を訪ねる旅も終わり
茨城に
まごを連れて古河の寺巡り。

まずは古河の歴史を
 「こが」という地名は
、平安時代末期あたりからその名を
文献で見つけることができます。
吾妻鏡には、源頼朝に背いた常陸の
志田義広の軍勢を下河辺氏が
「古我・高野等渡」を固めて
討ち止めた、とあります。

 源頼朝の御家人・下河辺行平(藤原秀郷の子孫)が
古河に始めて城を築いたと伝わります。

南北朝時代から「古河」という文字で
表記されるようになりました。

 徳川幕府により譜代大名11家がめまぐるしく交替し、
古河城は徳川将軍が日光東照宮参拝の折の
宿泊場所にもなりました。
また、奥羽街道・日光街道の宿場町としても発展。
現在も市内各所に武家屋敷や商家の町割、
由緒ある神社仏閣があって、
当初の風格がしのばれます。

 鎌倉時代から120年余にわたる古河公方時代を経て、
江戸時代には徳川譜代大名の城下町であった古河は、
日光奥州街道の要地として、代々小笠原・松平・奥平・
永井・土井・堀田・本多などといった、老中格の大名が
城主となり、栄えた町でもあります。
 今もなお、公方ゆかりの寺社や江戸時代からの貴重な
文化財などが市内のあちこちにあり、往時を偲ばせています。

お寺巡りを半日お昼をギャラリー併設の食事処
唐草でパスタとピザを。此処は二度目です。
気にいってます。

 古河で小笠原の名前を。
海津市、高津藩の歴史を此処でも
小笠原の名を
小倉・小笠原藩と私たちは呼びますが
最後の老中・関門海峡で政府軍に
破れた小倉藩藩主です。
徳川幕府は藩替えをかなり
行った気がします。

 約一週間古河で過ごし東京に
葛飾柴又・神田明神参拝。
虎さん・銭形平次を訪ねて
今回の旅に終止符を打ちました。
東京編は次回に

 今日はこの辺で さようなら

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